OLCのアルバイトから8年後にウォルトディズニージャパンの社員になった話 前半
私はディズニーが大好きで、子供のころから
ミッキーマウスと結婚するといってミニーに嫉妬していたほど大好きでした。
80年代のディズニーランドは入園料だけ払うと入場できたので
毎週末のように親に連れて行ってもらい
今はなき、イッツアスモールワールドの前のショーを
食いつくように見ていました。
この「ディズニーランド・イズ・ユア・ランド」のショーは
本当に素晴らしいショーだったんですよ!ダンスや生歌はまさに夢のようで、
キラキラしていて、子供の心をがっちり魅了してしまいました。
そして過ぎる事、19年。ロンドンから帰国し
大学生になり、親からアルバイトの許可が下りた私が
真っ先に面接を受けに行ったのはやっぱりディズニーランド。
夢の国で働けるなら何でもいい!と思い
安い時給800円で働いていたのは良い思い出です。
私はプーさんコーナーというマーチャンダイズ部、
いわゆるお土産屋さんで
学校の授業がない土日だけ働いていました。
当時は20周年ということもあり、非常に盛り上がっていて
出勤前は年パスでインパークしたのを思い出します。
(↓1歳の娘が掘り出してきた当時の名札。この記事を書こうと持ったきっかけ)
そしてディズニーランドで働いて初めて知ったのですが、
ディズニーランドやシーの運営はOLC(オリエンタルランド)という
会社が運営していて、自分はOLCの従業員としてバイトをしていました。
ディズニーではないのです。
あくまでディズニーがOLCに委託してテーマパークの運営をしているという
絶妙な関係で成り立っているんですね。日本だけ。
本国のアメリカやパリや香港にあるディズニーランドはディズニー直営です。
なんでこうなったかは大人の事情があるのですが、さておき、その時にOLC社員の店長が
「あーうち(OLC)とウォルトディズニージャパンは仲悪いからね」って
笑っていたのが印象的でした。
(今はそれでもだいぶ仲良しになった方だと思いますけど。)
そして無事大学を卒業し、私はゲーム会社にアルバイトで入社しました。
やっぱエンタメの世界にいたい、と強く思っていたんでしょうね。
入社したゲーム会社がキングダムハーツというディズニーの大ヒットゲームを
出していたのも応募した要因の一つでした。
後から聞くと、キャスト上がりでゲーム会社行く人って結構多いことがわかりました。
そこからすっとばして、8年後。
私は転職し、サンフランシスコでiOS向けのゲームアプリをバリバリ作っていました。
ゾンビにひたすらご飯をあげるゲームとか、忍者を耕して(!?)成長させるゲームとか
毎日多忙すぎて、寝る間も惜しんでKPI(ゲームの売上に纏わるデータ)とにらめっこして
正直ディズニーのことなんか忘れていました。
ですがある日突然、ウォルトディズニージャパンの採用担当者から連絡がきて、
ゲーム開発部門(当時のDIG-デジタルインタラクティブグループ)で
「ゲームアプリのプロデューサー募集してるんで面接受けませんか?」とメッセージが来ました。
日本に帰国することは全く考えていなかったので、正直こういったタイミングでディズニーからオファーがきてびっくりしました。
(後半に続く)
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